~2024京都38🌟2024年の夏休みの振り返りです
前日夕方に行ったらすでに閉まっていた籠神社ですが、

次の日の午前中に行ったらあいていました。

神社の由緒板。神社HPによると、平成20年(2008年)作成。

籠(この)神社(古称 吉佐宮)
御祭神 彦火明命
相殿 豊受大神 天照大神 海神 天水分神
神代の昔より奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りして来ましたが、その御縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀り致しました
その後天照大神は垂仁天皇の御代に、又豊受大神は雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました それに依って当社は元伊勢と云われております
両大神がおうつりの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社、又丹後国一之宮として朝野の崇敬を集めてきました
というわけで、まつっているのはアマテラスの孫でニニギの兄弟ヒコホアカリ。
祭神 | 相殿 | 備考 |
---|---|---|
彦火明命 (ひこほあかりのみこと) | ・別名・天照国照彦火明命 (あまてるくにてるひこほあかりのみこと) ・天孫 邇邇藝命(ににぎのみこと)の兄弟神 ・天照大神から息津鏡・邊津鏡を授かり、海の奥宮・冠島に降臨 ・丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広め開拓 | |
豊受大神 (とようけおおかみ) | ||
天照大神 (あまてらすおおかみ) | ||
海神 (わたつみのかみ) | ||
天水分神 (あめのみくまりのかみ) |
祭神のヒコホアカリ。神社HPによると、アマテラスじいちゃんから邊津鏡と息津鏡をもらったということですが、邊津鏡は前漢時代、息津鏡は後漢時代のもので、それが代々籠神社宮司の海部家に伝わって現存しているのだそうです。前漢って紀元前206~8年、後漢は20~220年。弥生時代ですよ。
境内は撮影禁止でした。

HPにあるとおり、確かに社殿の高欄の玉(座玉というそうです)がカラフルで、ただものではない感がありました。神社には、始祖の彦火明から平安初期までの宮司家の家系図(国宝)もあるそうです。始祖って、進撃の巨人みたいダナ。
あと、境内にあった玉を手にした像も印象的でした。一瞬、出雲大社の大国主の像かと思ったけれど、亀に乗っています。HPによると倭宿禰命(やまとすくねのみこと)なんだそうです。
西側から外に出ると、池で亀がのんびりくつろいでいました。

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